2012年02月22日

「2012 小樽雪あかりの路1」


lovelatte_0251.jpg



小樽ゆきあかりの路へ行ってきました。


ゆっくりと観光もしたかったのですが、今回は写真撮りです。


ロウソクの焔のゆらめきは、人生の輝きをあらわすかのようです。


ともしびは、時に果敢ない命に例えられます。





lovelatte_0378.jpg


人は時に人の命をも奪います。


戦争などの争いで命を奪うこともあれば、


保身のために命を奪うこともあります。


また自らの命を奪うこともあれば、


罰として命を奪うこともあります。




人が人の命を奪う、


このようなことがない世界であればどんなにいいことでしょう。


しかし現実としてそれは起こっているわけです。




そして、罰として人の命を奪うのが死刑制度です。


全世界では死刑制度を廃止する動きが高まっていて、


半数以上の国々ですでに死刑制度がなくなっています。




死刑制度の是非の問題は大変難しいと言えるでしょう。


わたしもいろいろな機会で考えさせられることがあって、


この問題について考えてみたことがあります。



最初にこのことを考えさせられたのは私が二十歳の頃、


「デッドマン・ウォーキング」という映画を観たときです。


この時は自分なりの答えが出なかった。




けど、今はこう思っています。


人が人を裁くことには限界があるのではないかと思っています。


冤罪の問題もあるでしょうし、罰としての死も私としては腑に落ちないところがあります。


かと言って、事件関係者遺族、市民感情を考えたときは極刑をのぞむことは当然であるとおもいます。


国内の話で考えると、極刑といえば死刑となります。


でももし、死刑以外の極刑があるとすればどうでしょうか。


加害者の存在が無くなることで、不安がなくなることや慰めになるのかもしれません、


実際のところ、そんな簡単な思いではすまないとはおもいますが、


罪人に与える重い罰として、死刑が適当であるとも言えない場合もあります。


中には死を望むものもいるでしょう、


死を望むものに罰としての死が極刑に値するのかというと、そうではない場合もあるわけです。


そしてやはり人が人の命を奪うということには変わりなく、刑としての死には違和感を感じる時もあります。





国内での極刑の次に重い罰は無期懲役でしょうか、


これでは罰どころか、働く喜びさえ感じる者すらいるでしょう、


いつしか反省の思いは忘れ、囲われた世界で現実逃避しているだけになるかもしれません



lovelatte_0311.jpg






私は死刑は極刑だとは思いません、(現在国内では極刑です)


罪人にはもっと反省をする時間を与えなければいけません、


そして、極刑に値する場合、働く機会も与える必要はありません、


人道的にどうかはわかりませんが、


死刑より重い極刑をつくればいいのではないかとおもいます。


考えるに、食べ物と住むスペースなど最低限のものしか与えない。


懲罰房みたいなもんですね。


普通の人間なら1年も経たないうちに精神崩壊してしまいそう。。


それこそ自ら死を選びたくなるかもしれません。





私が遺族側であれば、死刑より重い極刑があれば、そちらを望むのだとおもいます。


死刑を望む声があるのは、死刑より重い極刑が国内にはないのが理由ではないでしょうか。






でも、塀の中より現実世界で生きていくことのほうがよっぽど大変なことかもしれませんよ。

何もしないでご飯出てきませんから。




私のロウソクはスロウなスピードで完全燃焼して終わりたいです。





posted by じぇべうさぎ at 00:50| Comment(3) | TrackBack(0) | 工場夜景・夜景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
とっても難しいテーマですね。
何が正解で何が間違いか、結論はなかなか出ません。結論を出すより、そのテーマで考えること自体が有意義なことだと思います。他人事として目を背けず考えることは、難しいけれど大切な事ですね。きっと記事を読んだ方々の胸に何かが伝わったと思います。
Posted by 銀子 at 2012年02月23日 01:07
私も「デッドマンウォーキング」
みました。
負の連鎖のなかで起きた不幸な出来事。
人が人を裁くこと。
涙とともに重い石の塊のようなものが
胸に残りました。

人の闇の深さ。
自分のなかにもある闇の深さ。

様々な不幸な事件、その裁判が終わるたびに
やるせない気持ちになります。
結論はないのだと思います。
どうしてそこまで人間が残酷になれるのか、
暴力がたえないのか。
なぜなんだろう。



Posted by いずみんぐ at 2012年02月23日 01:27
今回ばばばーっと思ったことを書いてみましたが、お二人のコメントを見て思いました、
私もまだ答えなんて出ないようです。
でもまてよ、現在の極刑、いわゆる死刑制度については完全ではないはずなのに、十分議論の余地はあるだろうに、刑の執行は進んでいる。
取り返しのつかないことかもしれないのに、進んでいっている!
これって国のエネルギー政策、原発と同じではないだろうか!取り返しのつかないことが起こるかもしれないのに進んでいっている!いいの?こんなんでいいの?いますぐやめるべきじゃないの??
なし崩し的に物事が平然と進んでいくのはおかしいよね!

死刑制度についてもっともっと考えてやったほうがいいんじゃないだろうかね。あとになって死刑制度廃止しましたってことになったら、たとえば1日違いで執行になってしまったりしたら矛盾しないだろうか、気づいたときに凍結すべきじゃないのだろうか、
なんておもってしまう。



>銀子さん

こんにちは、コメントありがとうございました。新しい記事を書いてそーっとながすつもりだったんですけどね♪

映画にしてもそうでしたけど、考えることに大きな意味があるでしょう。
答えなんてでなくたっていいんですよね。気持ちが少し軽くなりました、ありがとうございました♪


>いずみんぐさん

こんにちは、コメントありがとうございました。強いメッセージ性のある映画をみるとズシンときますね、とくにこのテーマだと。やはり考えることに意義があるのだとおもいます。
わたしは性善説を信じたいと思っています。しかし悲しい結果となることもあるでしょう、全ては宇宙のような脳、様々なものに影響を受けた脳による仕業であると思います。意味不明ですが、人は完全ではないということですね。法ですら完全じゃない。


たまには社会派な記事をかいてみましたが、またゆるーくいきます♪
Posted by じぇべうさ at 2012年02月23日 02:20
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
↓各ランキングでこのブログの投票ができます! ジャンル別リンク集としてもおススメ♪
人気ブログランキングへにほんブログ村 旅行ブログ 源泉掛け流し温泉へにほんブログ村 バイクブログ 林道ツーリングへにほんブログ村 グルメブログ 北海道食べ歩きへ
Powered by Seesaa
copyright c 2010 じぇべうさ all rights reserved.
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。